加賀藩百二十万石の財力を示す江戸初期の典型的な建造物です。
高岡の開祖前田利長の菩提寺、曹洞宗の寺院。
三代藩主前田利常の建立で、1997年に山門、仏殿、法堂が建造物として国宝に指定されています。
また総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊三棟が重要文化財として指定されており、
江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されています。

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瑞龙寺是显示加贺藩地120万石财力※的江户初期的典型建筑。曹洞宗派的寺院,为第三代藩主前田利常所建,作为高冈的开城祖前田利长的菩提寺(供放牌位的寺庙)。1997年寺内的山门,佛殿,法堂三栋建筑被认定为国宝。其余总门,禅堂,大库院,大茶堂,三条回廊被认定为重要文化财产。作为江户初期的禅宗寺院建筑享有很高评价。

※“石”为根据领地规模换算出来的大米的数量单位。1石约为1名成年男子1年消费的大米量约150公斤。

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瑞龍寺是顯示加賀藩地120萬石財力※的江戶初期的典型建築。曹洞宗派的寺院,為第三代藩主前田利常所建,作為高岡的開城祖前田利長的菩提寺(供放牌位的寺廟)。1997年寺內的山門,佛殿,法堂三棟建築被認定為國寶。其余總門,禪堂,大庫院,大茶堂,三條回廊被認定為重要文化財產。作為江戶初期的禪宗寺院建築享有很高評價。

※“石”為根據領地規模換算出來的大米的數量單位。1石約為1名成年男子1年消費的大米量約150公斤。

4月27日、今日の高岡大佛様です。

まだまだ肌寒いなかで、久しぶりの晴天。

大佛様の前を通りましたのでちょっと撮影。

なんとも有難い風景。真冬でも春でも真夏でも

同じところに服一枚で座っておられます。

高岡の大佛様は、日本三大大佛様の1つで

その三大大佛様には、奈良の大佛様(廬舎那仏様)

鎌倉の大佛様(阿弥陀如来様)、高岡の大佛様(阿弥陀如来様)

があります。大佛様といいましても同じでないのです。

高岡で物作りができることに感謝。

高岡に大佛様がおられることに感謝。

合掌。

 

以下為中文翻譯:

4月27日,今日的高岡大佛。

還在春寒料峭,久違的晴天。

經過大佛時略留壹影。

真是難得的風景。無論是春夏秋冬,

壹襲衣服在同壹處靜坐。

高岡大佛是日本三大大佛之壹。

這三尊大佛是奈良大佛(廬舎那佛)

鐮倉大佛(阿彌陀如來佛)和高岡大佛(阿彌陀如來佛)。

同為大佛也是不盡相同。

感謝高岡能夠制作大佛。

感謝高岡有這樣的大佛。

合掌。

昨日の金屋町、快晴でした。

千本格子の街並、もともと鋳物に関係する職人、商人の街で

その雰囲気を味わえます。

通りのには、懐かしい円筒形の郵便ポストがあります。

街の雰囲気に合ってます。

早く賑わいが戻ってほしですね。

 

以下為中文翻譯:

昨日的金屋町,是個打晴天。

千本格子建築毗鄰的街道,

在原先與鑄造有關的匠人商人的街道

可以感受到這種氛圍。

在路邊有令人懷念的圓筒形郵箱。

和街道的氣氛很相配。

希望能早日恢復以往的熱鬧啊。

銀祥堂の地元、高岡の古城公園。

慶長3年(1609)に前田利長公によって造られました。

設計はキリシタン大名として有名な高山右近による城です。

その城は元和元年(1615)、一国一城令により廃城となりましたが

お城の跡は現在、公園にとなっています。

高岡の桜の名所でもあります。

 

以下為中文翻譯:

銀祥堂所在城市高岡的古城公園。

慶長3年(1609年)由前田利長建造。

天主教武士將領,著名的高山右近設計了高岡城。

城墻在元和元年(1615年)根據壹國壹城的指令被廢除。

城墻的遺跡就是現在的古城公園。

是高岡觀賞櫻花的著名景點。

銀祥堂のある富山県高岡市の海岸。

雨晴海岸といいます。

海の向こう側に3000m級の立山連峰を望むことができる

景観の良いところです。

日本国内ではここだけで見ることができる景観です。

その雨晴海岸には、

その昔源義経と弁慶が、東北へ行く途中

この海岸でで雨宿りされたという岩もあり

今はそこに小さな祠が建てられています。

 

以下為中文翻譯:

銀祥堂所在的富山縣高岡市的海岸。

名為雨晴海岸。

可以眺望到海對面3000米高的立山連峰,風景絕佳。

在日本國內只有在這裏可以見到此壯麗景象。

雨晴海岸裏有壹塊巖石,

是平安時代末期的武將源義経與其隨從弁慶在去往東北的途中,

在此躲避風雨時的棲息之石。

如今那上面建有壹座小小的祠廟。